ここちよい春の潮風が、マストをかすめ吹きぬける江ノ島ヨットハーバー。大型のクルーザーが係留されている一角に、ひときわ目立つ真っ黒な帆船、そのマスト先端にジョリーロジャーのブラック・フラッグ(海賊旗)が悠然とはためいている。「わたし流・湘南スタイル」第1回目は、その海賊船・「セント・エルモ号」船長・吉田八岑(ヤツオ)さん(70)。タラップをとんとんと降りていくと「よっ!」と船長が手を上げてくれた。海賊船の船長らしく、シャツもジーンズも黒づくめ、黒いテンガロンハットのしたで、レイバンのサングラスがするどく光った。
甲板にのり移り、ナイフや短銃で脅されるのを覚悟で恐る恐る聞いてみた。
「船長、お話を聞かせてくれませんか・・・?」
ナイフか短銃(船長の周りにはいつもナイフがある、隠れ家には鉄砲がごろごろしてる)が出てくるかわりに、相好をくずした船長が「コーヒー飲むかね?」と意外な言葉。「まーぁ、ここのほうが暖かいから」とキャビンに招き入れてくれた。あーぁ、ぐさりとあるいはズドン!と撃たれなくてよかった。という経緯で、わずかに揺れるキャビンの中で、船長のもう奇想天外というか、奇奇怪怪な、あるいは摩訶不思議な、ときにはおどろおどろしい話しが飛び交い始めた。その興味深い話は、今回は見送り、湘南に話を戻すことに。「若い頃はね、お金ないから、山登りしてたんだ。丹沢へ行き、ロック・クライミング。ある時、ハーケンが抜けて宙吊りとなり、命を落としかけた。で、自分はその素質はないんじゃないか」と、それで山と正反対の海へ、舟へと向かったという。
「私の原点はね、東京・月島桟橋のボート屋で、そこのおやじから、”お前なにしてんだ?”と聞かれ、”ボート欲しくて、探しているんだ” というと ”じゃぁ、そこに沈んでいるボート、二千円でやるよ”といわれたことです」当時、大卒の初任給が三千円のころ。沈んでいたボートを陸にあげ、修理し、そのボートで神田川をさかのぼり、早稲田の大隈庭園に置かせてもらい、毎日仕事終えてから手をいれ、ヨットを作り上げた。「金なんかないからね、孟宗竹をマストにして、鉄板をセンターボードにしたんだ。ははは・・・・、当時はそれで誰にも笑われなかったなぁ」と。そのボートを原点とし、それからY15などいろいろなヨットにのった。時間のあるときに、船の模型本を見ながら、模型をつくっていた。
しかし、つくってからしばらく置いておくと、ほこりをかぶってしまう。「じゃぁ、つくっちゃえ!」ということで、幸い設計図があったから船体だけは建造してもらい、海に浮かべながら、少しずつ手をいれ、30数年かけてこの「セント・エルモ号」を完成させた。「つくっている期間は、至福の時間だったね」と目を細める吉田船長、もうそのころはサングラスもはずしおだやかに。自分で工作できるものは全部作ってしまう、それも職人の腕前。船籍36年。「セント・エルモ号」艤装品を含め歴史的価値は計り知れないという。
吉田さんは、毎日、茅ヶ崎の家から、体力づくりを兼ねて自転車で江ノ島まで来る。そしてこの船で過ごす。潮焼けした健康的な肌、すらりとした姿、とてもその年齢を感じさせない。「ここで遊んでいるとね、創造力が一杯わいて来るんだ。私はね、建築、絵画、音楽そして文学は、切っても切りはなせないものだと思ってる。その4つの世界が凝縮して、この船のキャビンに詰まっているんだ」どうりでキャビンのなかは、クラッシクやJAZZが流れているし、名画といわれる絵画のミニチュアが飾られている。酒瓶もころがっているけど。文学は専門であるし、船をつくりあげるのは、まさに建築だ。
吉田さんのそれぞれの造詣の深さと薀蓄(うんちく)はただものではない。それは当然、専門は「中世ヨーロッパ史」だから。話しは尽きないが、最後に「”湘南”という言葉、どんなイメージをお持ちですか?」と聞いてみた。「そうだね、こどものころの海はきれいだったなぁ・・・、自由に潜れたし・・・、うーん、いまは潜れないしね、それに目の前に海があっても入れないし、小坪、鵠沼、辻堂・・・、ローカルな地名のほうが好きだね」湘南のど真ん中、それも江ノ島ヨットハーバーで毎日過ごしている吉田さんにとって、”湘南”という言葉、ちょっと違和感がありそう。ことさら意識しないともいう。まるでそんなことはどうでもいい、といいたげな潮風が、ブラック・フラッグをさらにパタパタとはためかせていた。
江ノ島に行くたびに眺めていたセント・エルモ號!!
17日の昨日マリーナで 吉田船長にご挨拶したところ
笑顔でエルモ號に招待してくださいました
夢のような一時間でした。
エルモ號の外装から内装も素晴らしいですが
吉田船長の素晴らしさが心にしみました。
投稿者:群馬@煎餅屋