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    <title>私流湘南スタイル</title>
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    <updated>2008-05-15T02:30:32Z</updated>
    <subtitle>湘南で暮らす、魅力的な人たちの素敵スタイルをご紹介します。あの人の湘南スタイルをちょっとのぞいてみませんか？ＬＯＨＡＳな湘南のライフスタイルを実践しているクリエイティブな人たちを、ハーブクマ（熊谷博）が紹介していきます。</subtitle>
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    <title>抽象画家 川城夏未さん （3/3）</title>
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    <published>2008-05-15T02:17:22Z</published>
    <updated>2008-05-15T02:30:32Z</updated>

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        <name>湘南スタイル.jp</name>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/kawashiro.jpg" width="520" height="319" class="mt-image-none" style="" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>居心地のいい生まれ故郷・茅ケ崎の地で<br />
「これからも自分の生き方を続けていけたらいいなぁ･･･」<br />
(連載3-3)</h3>

<h3>「わたし絵を描きたい」</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家 川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/_MG_0120.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>川城さんは抽象画家として作品を創造していく一方、ふだんは4歳児から中学生までの美術教室を主宰している。<br />
「大学のときから、幼稚園や公民館で絵画教室をやっている先生の助手をアルバイトでしていました。女子美を卒業して、院浪人しているときから茅ケ崎の駅に近いところでアトリエ構えていたんです。そこで大きな抽象画を描いていました。そしたら窓ガラスのところから小学生の女の子がじーっと私を見てるんですね。「何を描いているの？」と、とっても不思議そうでしたので、「抽象画というもので･････と」いろいろと説明したんです。しばらくしてその子供は帰りましたが、すぐにお母さんと一緒にやってきたんです。「わたし絵を描きたい」っていうじゃありませんか。もうびっくりして、お母さんも「お願いします」っていうから、それで今までやってきたアルバイトの経験を生かして、美術教室がはじまりました。いつか教室をひらいて、子供たちに絵を教える仕事ができたらな、という夢が、向こうからやって来たという感じでした」<br />
いまでは、好奇心旺盛な子供たちが毎週、アトリエの教室にきてくれているそうだ。<br />
（アトリエCosta del Sol美術教室では、すべての子供が本来それぞれに持っている個性や才能や美術的感受性を引き出し、さらに豊かな感性をはぐくみ、自由で多才な創造力を伸ばすような指導を目指しています）</p>

<h3>わたしと湘南</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家 川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/_MG_0067.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>「湘南というイメージですかぁ・・・、<br />
わたしは茅ケ崎で生まれて、ここでずーっと育っていますから、海があり、空がきれい、花やみどりも多くて、この自然がすごく好きなんです。いいところだなぁといつも思っています」<br />
それで川城さんは「他へ行きたいなんてまったく思わない」そうだ。この居心地のいい生まれ故郷・茅ケ崎の地で「これまで生きてきたように、これからも自分の生き方を続けていけたらいいなぁ」と。<br />
湘南という雰囲気ぴったりのやわらかくキュートな川城さん、ますますのご活躍をそしてさらなる輝きを祈りながら潮風の感じられるアトリエをあとにした。</p>

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PHOTO：鈴木綾子／TEXT：熊谷 博
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    <title>抽象画家 川城夏未さん （2/3）</title>
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    <published>2008-05-15T01:57:59Z</published>
    <updated>2008-05-15T02:29:52Z</updated>

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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/kawashiro.jpg" width="520" height="319" class="mt-image-none" style="" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>居心地のいい生まれ故郷・茅ケ崎の地で<br />
「これからも自分の生き方を続けていけたらいいなぁ･･･」<br />
(連載3-2)</h3>

<h3>色より質感にこだわっている</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/MG_0151.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>「いまのような画風になってきたのは、美大の２年生のときです。<br />
いまは油絵の具にミツロウを入れて描いています。それがわたしの作品の質感となっているんですね。絵の中にしかない独特な質感を持つ色がほしかったんです」</p>

<p>川城さんの近年の作品は、赤一色といっていい。その赤も濃淡あり、輝きあり、影あり、流れあり、はじけていたり、躍動感もありと・・・さまざま。<br />
「最初から赤ばかりではありませんでした。ブルーとか黄色をためしてみましたが、ミツロウと混ぜると赤が一番あってるんですね。ほんとうは色にこだわりがあるわけではありません。わたしは質感にこだわっています。いまは赤色の作品ばかりですが、実は生活の中では赤って、あまり好きな色じゃないんですよ。先ほどのミツロウをつかった質感では、赤がわたしの表現したいものに一番合っているからだ、というのもあります」<br />
ミツロウ絵の具の層を掻き削った線、独特な質感が川城作品の特徴。</p>


<h3>不安定にバランスを保ち続けながら・・・</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/_MG_0086.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>抽象画の作品を生み出すのに、川城さんはどういう方法をとるのかといえば、やはりオーソドックスな方法だそう。<br />
「エスキース帖、そうですねスケッチブックみたいなものですね」<br />
「これです」とパラパラ見せてくれた。そこにはラフにいろいろなものが描かれていた。<br />
「どうしてもここにこの形がほしい、いびつな楕円が、と感じるんですね」<br />
そこに自然とこころの中に浮かんできたものを描くのだそう。<br />
「でも実際のところ自分でもよくわからないんですね。<br />
友人がいうには"あなたは宇宙と交信しているんじゃないの"と（笑）」</p>

<p>川城さんの作品のタイトルは全て"バランス"。<br />
「これは調和という意味ですが、安定もしているし、不安定の場合もあるでしょ。<br />
そういう広い意味で名づけたのです。大学時代からなんとなくつけたタイトルでもあるんですよ」<br />
個展とか展示会を続けていくと、いろいろな方から「それだとわかりにくい」といわれるので、最近は、絵をみたひとがもっと自由に感じることができるよう、漠然としていて、自由な感覚のある言葉を、副題につけるとのこと。例えば、「出来事」とか「午前２時の家」とか。これは自然に「夜中の家ってどんな感じなんだろう」と想い、つけているそうだ。</p>


<h3>絵はそのひとのこころで感じてもらえれば・・・</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/_MG_0118.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p>まだしばらくはいまの作風というか画風のまま続けていくという。<br />
「将来、作品はどう変わるか、いまはわかりませんが、おそらく自分が変わっていけば、いままでとは違う作品になるのではないかと思っています」</p>

<p>「絵は自由な気持ちで観てもらいたいですね。絵の主張が強いと、余計むずかしい、近寄りがたいという感じがしてしまい、入っていけません。わたしはこちらの主張はしないで、答えは観ているひとに委ねたいな、そんな絵を描きたいなぁ･･･と思いながら描いています」と強調する川城さん。</p>

<p>抽象画、前衛画は、一般的にはわかりにくいもの、敬遠したいものと、つい思ってしまう。<br />
食わず嫌いというのがあたっているかもしれない。私もそうだった。<br />
若い頃は、「どうしてあんな絵を描くんだろう」と。もう最初から先入観でみてしまう。
ところが川城さんの言葉が頭の中によぎる「こちらの主張はしないで観るひとに委ねる」
「絵はそのひとのこころで感じてもらえれば・・・」と。</p>

<p>１年前、小田原市内で開催された川城夏未展へうかがった。入口から、わーっと大小さまざまな作品が押し寄せてきた。それも赤一色の、一瞬、たじろぐ。そしてギャラリーの中に身を置いた。<br />
最初は、ただの赤い絵と思っていた作品群が、しばらくぼーっと観ていると、不思議なことに最初に観た絵とは違うものに観えてくるから不思議。奇妙な感覚に襲われる。赤い絵の具の質感、色の濃淡、同色で○(まる)や楕円があったり縞模様、斜線が流れている。そのときの自分のこころ、感情によって、その絵はさまざまなものを訴えかけてくるようだ。この奇妙な感覚は、現実には作品の前に立たなければ、実感できない。<br />
それも一つではなく、大小さまざまな作品の前に。小はノートブックの大きさから、大はタテ３ｍヨコ５ｍくらいの大作。<br />
ちなみに小は１万円くらいから大作は中型の新車ほどの値づけがされている。</p>

<p>具象の絵、たとえば風景画や静物画などは、わかりやすい絵だけれど、実は観る人全員に同じ印象を与えやすい。富士山の画だとすればまぎれもなく富士山だ。朝焼け夕焼け、海の上、草原と状況は違うにしろ、やはり富士山だ。<br />
そこが抽象画と決定的に違うところ、100人がみれば、100通りの感覚・印象が生まれる。<br />
抽象画のすばらしさはそういうところだという川城さん。</p>

<div style="text-align: right;">つづく</div>

<div class="entry_information">
PHOTO：鈴木綾子／TEXT：熊谷 博
</div>
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<entry>
    <title>抽象画家 川城夏未さん （1/3）</title>
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    <published>2008-02-18T01:51:20Z</published>
    <updated>2008-02-18T04:35:54Z</updated>

    <summary>今回の「わたし流湘南スタイル」は抽象画家の川城夏未(かわしろなつみ)さん。暑さの中にもかすかに秋の気配がただようころ茅ケ崎・南湖のアトリエへうかがった。凡人にはなんとなくわかりにくい抽象画を描くアーティストの頭の中をのぞいてみたい、いつもどんなことを考えながら描いているのだろうか？などと興味津々で。
アトリエは美術教室を兼ねているため、入口にはやさしいモニュメントがそこかしこに。かわいい鯨のサインボード。いくつもの水滴をイメージした造形物。陽射しが透過しキラキラしている。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/kawashiro.jpg" width="520" height="319" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>居心地のいい生まれ故郷・茅ケ崎の地で<br />
「これからも自分の生き方を続けていけたらいいなぁ･･･」<br />
(連載3-1)</h3>

<p>今回の「わたし流湘南スタイル」は抽象画家の川城夏未(かわしろなつみ)さん。<br />
暑さの中にもかすかに秋の気配がただようころ茅ケ崎・南湖のアトリエへうかがった。<br />
凡人にはなんとなくわかりにくい抽象画を描くアーティストの頭の中をのぞいてみたい、いつもどんなことを考えながら描いているのだろうか？などと興味津々で。</p>
<p>アトリエは美術教室を兼ねているため、入口にはやさしいモニュメントがそこかしこに。かわいい鯨のサインボード。いくつもの水滴をイメージした造形物。陽射しが透過しキラキラしている。</p>

<h3>自分の心の中に、思い浮かべたものを描く</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/MG_0076.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></span>
<p>川城さんが一番気に入っている空間、そのアトリエで話しをうかがった。<br />
「２、３歳頃から絵は好きで、描くのも好きでしたね。その頃は描くといっても落書きのようですけど。両親も絵は好きでした。それでわたしが、部屋の隅っこのほうで、いつまでも絵を描いていたのも、なんとも言わずに、描かせておけば、という感じでしたか。それに小さい頃から、いろいろな美術館へ連れて行ってくれましたね。まーぁ、美術館というところは小さな子供にとって、そんなに楽しいところじゃないと思いますけど」といたずらっぽく微笑む。</p>

<p>小学生のときはポスターなどコンクールでよく賞をとったり、図工も好きだったという。<br />
絵の世界へ進む大きなきっかけは中学生のとき。<br />
「美術の先生が、いい絵を描いているね、っていってくれたことです。それがすごくうれしかったのを覚えています」</p>

<p>「自分の心の中に、思い浮かべたものを描く、例えば、浜辺の風景、空、流れ星とか･･･<br />
集中して絵を描いていることが、好きでしたね」<br />
それで、将来もそうしたことができたらいいなと、漠然と思っていたそうだ。</p>

<p>茅ケ崎に生まれ、小中は茅ケ崎、高校は藤沢へ。<br />
「なぜかというと、それは、当時大船に美大受験の予備校があったからです。それでその予備校へ行きたかったんですねぇ、藤沢の高校なら近いから、通えると思ったのです。いま思えば不純な動機ですかね」と笑う川城さん。<br />
１年浪人して、女子美術大学の洋画科に進学。<br />
「女子美の１、２年は普通の勉強もしますよ、そして午後から製作にかかるんです。<br />
２年まではモチーフを与えられたり、モデルさんなどの、課題を与えられて、それを描くということです。でもわたしは、高校の時から、美大受験用の予備校で、それに浪人中も同じようなことをずーっとしていましたから、抽象に興味があって、はやくその勉強がしたかったので、モデルさんに背を向けて抽象の絵を描いたりしていました。だから美大の頃はいい学生ではなかったように思います」<br />
そうした中、ついに担当教授が、「君は自分の絵を描いていいよ」といってくれたとのこと。こうして川城さんは自分の世界の絵に進むことになる。</p>


<h3>アトリエがほしかった</h3>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="抽象画家　川城夏未さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/kawashiro/MG_0135.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></span>
<p>川城さんは、女子美に在学中でも、2年間、東京藝術大学へ受験し続けたという。芸大への憧れはなみなみのものがあったようだ。希望は叶わず、結局、女子美を卒業することに。そしてさらに１年浪人（院生浪人）して、ようやく憧れの東京藝術大学大学院油画科へ進学することになる。<br />
「はやく自分の絵を描きたいということですから、わざわざ芸大へ進学せずとも作品を描いてもいいのではありませんか」と聞いてみた。</p>

<p>「それは･･･、実は一番の理由はアトリエのスペースがほしかったんです。女子美もそうですが、芸大も、製作するスペースが与えられるんですね。これはとても大事なこと。<br />
卒業すると制作する場所がないため、あきらめて創作活動やめていく仲間たちのなんと多いことか。みんな狭いところで苦労して制作していますね。ですからわたしは、作品を生み出すためにはスペースが必要なんだ、と思っています」</p>

<div style="text-align: right;">つづく</div>

<div class="entry_information">
PHOTO：鈴木綾子／TEXT：熊谷 博
</div>]]>
    </content>
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    <title>ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/2008/02/igarashi.html" />
    <id>tag:www.shonan-style.jp,2008:/watashi-style//4.697</id>

    <published>2008-02-05T02:34:40Z</published>
    <updated>2011-09-26T03:01:38Z</updated>

    <summary></summary>
    <author>
        <name>市川靖洋</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" /><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/igarashi.jpg" width="520" height="319" style="" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>自分の住んでいるところで満足しているから、出かける必要もあまりないし、自然があるって、やはりすばらしいことですね。</h3>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-001.jpg" width="270" height="405" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">相手よりちょっと低くする心、それが仲直りの秘訣</h3>

<p>海からのここちよい風が、松籟(ショウライ)を奏でているここ湘南・茅ケ崎、五十嵐邸。松の林を掠(カス)めて、まるで風が踊っているかのよう。かつては１町歩（3000坪）の湘南特有の広大な別荘地だった。 やわらかな日差しのさしこむ広い客間、そのソファに座り、ゆっくりソフトに話し始めた 五十嵐さん。<br />
「昔、ここは夏だけの別荘として使っていたんです。茅ケ崎は東京の人たちが転地療養で来ていましたね。住み始めた頃は、駐在所しかなくて、家は少なく、ほとんどが砂地ばかり、停車場まで見通せました」 </p>

<p>今回の「わたし流湘南スタイル」は五十嵐有爾(ユウジ)さん（白洋舎顧問）。筆者の父と同じ年齢で、まるで父のように思える方。そして家族付き合いもさせていただいている。「穏やかで高潔なジェントルマン」とは、まさにこの方のためにあるといっていい。</p>

<p>五十嵐邸は、大正、昭和初期の伝統的な湘南別荘様式として色濃く名残りをとどめている。 関東大震災（大正12年）のあとに建てられ、避暑のために使われていた。<br />
 「以前は松が数十本ありました。それが松枯れ病で少しずつ枯れていき、いまは少なくなりましたねぇ」少なくなったとはいえ、まだ敷地内には高さ10数ｍの松が数多い。</p>

<p>五十嵐さんは、80を過ぎていらっしゃるが、いつも活動的で多才、週に3日ほど東京へ出かけている。 「音楽があり、ハーブがあり、庭のこともあったり、いろいろなことやっているからね。気楽に生きていくのが長生きの秘訣かな。私は12人兄弟の11番目だから、兄弟から鍛えられて、くよくよしないんですよ」と。<br />
「なんと言っても兄弟喧嘩できたのが幸せなこと、けんかして仲直りできなければ、一人ぼっちになってしまうでしょ、それが平和につながる。仲直りの仕方がわからないとか、人との付き合い方がわからなければ、独りでいることになり、生きていけないですね」 大勢の兄弟姉妹にもまれた五十嵐さん。<br />
「仲直りの方法ってすごく大事、相手の心を読み取れれば仲直りできます。相手よりちょっと心を低くすれば仲直りできるのに、相手よりちょっと高くしてしまうんですね、そうすると仲直りができなくなる。だから、ちょっと低くする、それが仲直りの秘訣だと思います。いまは謙虚という言葉はなくなっていますね。やはり汝の隣人を愛せよ、ではないでしょうか」</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-003.jpg" width="270" height="405" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">ウクレレはこころのハーブです</h3>

<p>そうしたなか音楽も人生の上で大きな比重を占めている。五十嵐さんは、わが国ウクレレの第一人者といっていい。教則本も8冊出版されている。ウクレレ歴は70年という。かつてイイノホールやみなとみらいホールでライブをしていた。現在は、ミニコンサートをときどき開いている。</p>

<p>「音楽をするようになったのは、姉が音楽をしていたからその影響ですね。歌うのも好きだったし、ウクレレを始めたのは、昭和11年位かな、はじめは兄貴がしていましたが、やめてしまいそのままほったらかしだった。その弦を弾くといい音がする、それで私がウクレレを弾き始めたんです」</p>

<p>当時、ウクレレは結構流行っていたという。素人の楽器はウクレレ、ハーモニカ、オカリナ、 アコーディオン、そしてギター。ピアノやバイオリンは音楽家を目指す人たちがするプロの楽器という時代だった。</p>

<p>「私は独学で始め、メロディーを弾くようにしていました。当時は伴奏を弾く人ばかりで、メロディを弾く人は　少なかったかな、楽器が小さいからむずかしいんですね。指をしっかり押さえないと音が出ないし、メロディーを弾く人はいなかったように思います。だからいまも弾き続けられているのでしょう」<br />
そうした奏法が五十嵐さんの特徴、そしてメロディーは美しい。現在は、リタイアした方々が、ウクレレ始めようとしている。若い人は相変わらず少ないそうだ。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-004.jpg" width="270" height="180" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p>「この前、ハワイアンしていてよかったと思うことがありました。というのは、音楽の仲間が亡くなり、それでしのぶ会をしました。それがお焼香ではなく、全部フラなんですよ。花をささげて、お葬式もフラなんですよ。牧師さんも、お寺さんもいるわけでなくて、花を飾ってあげて、私は故人を偲ぶ歌を歌ってあげたんです」<br />
そういいながらウクレレを持ってきて、弾き始めた。真珠貝の歌から始まり、ハワイの曲はもちろん、つぎつぎいろいろなナンバーを。<br />
「何でもハワイアン風にアレンジしてしまいます。荒城の月、そして「ちょうちょ」、ドイツの歌なんだけど、ハワイ語で歌うとこんな感じになります。もともと日本の童謡だと思ったけれど、ドイツの人が来たとき歌ってあげたら、彼は「わたしの国の歌をありがとう」といってくれた。それで「ちょうちょ」はドイツの歌だとわかったんです」 その後、アベマリアなど気持ちよく演奏しながら歌ってくれた。 五十嵐さんの声はここちよくあたたかいハワイアンボイス。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-005.jpg" width="270" height="180" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p>毎年ハワイで開催される世界的に有名なウクレレ・フェスティバルには、いつもゲストとして招聘されている。その開催ポスターには、グラミー賞をとった著名なミュージシャンの中に混じって、ただ一人の日本人ゲストとして、五十嵐さんの笑顔の写真が掲載されている。<br />
2年前に五十嵐さんから贈られた教則本に「いつもハーブのことでお世話になっています。 ウクレレはこころのハーブです。弾いてみると心の安らぎがもらえますよ」と嬉しいメッセージをいただいた。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-006.jpg" width="270" height="405" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">『続・氷点』に描かれた五十嵐邸</h3>

<p>氏のお父様は白洋舎の創立者・五十嵐健治氏。敬虔なクリスチャンでもあり、父思いの有爾さんを従えて、福音伝道に全国をまわっていた。北海道へ行ったときは、キリスト教の関係で、お父様と一緒にいつも作家の三浦綾子さんに会っていたという。<br />
「三浦綾子さんとのかかわりは、当時、三浦さんはまだ結婚するまえの堀田さんといっていた無名の娘さんでした。当時、彼女は、病床に伏していました。『氷点』を発表するのは、ずーっとあとのことなんですよ。いま思うと、それは「神のお導き」があったのではと思っています」</p>

<p>その縁で、三浦さんは健治氏のこころの友となり、のちに五十嵐健治一代記『夕あり朝あり』（新潮文庫）という新聞連載小説として表わすことになる。 『続・氷点』（三浦綾子著・角川文庫）に五十嵐邸が登場する場面が、「陽子は茅ケ崎のおうちの客間から、縁側のガラス戸越しに、雨にぬれた庭を見ています。春雨のように、しとしとと降る雨の中に、夾竹桃の花が咲き、その傍らに真っ赤な彼岸花が群れ、並んで玉すだれという小さな花の白が対照的です」と書かれている陽子の祖父の家が、いまの五十嵐邸。インタビューしている横のガラス戸越しから季節は違うが、同じ庭が見えている。</p>

<p>「食用蛙が群れをなして遊びに来るという大きな池、そのほとりに苔むした灯籠が見える。 これらの庭は、千坪からの松林の中にあった。　中略　････でも、茅ケ崎のここは、とてもいい空気です。松の匂いがします。潮の匂いもします。･･････」とも書かれている。大きな池はかつてのプールでいまは蓮池に変わり残っている。そして苔むした灯籠も。</p>

<p>「父は生きるか死ぬかの人生を歩んできましたから、それはそれは厳しかった。私が若いころ、家にいるとき「このハンカチにアイロンをかけてみよ」といわれてかけるんですが「お前、こんなのでお客様に渡しているのか」と怒られました。<br />
ハンカチは真四角にアイロンをかけないといけないんです。家庭用のアイロンではなかなか真四角にならないんですね。それで家庭用アイロンでも真四角にできるようになれば、とりあえず合格ということで。</p>

<p>「洗いの基本は、自分の下着をきれいに洗うということ、それがなかなかむずかしい。いまはみんな洗濯機だから、まず洗えないんじゃないかな。手洗いで、下着をきれいにするのが洗いの基本。石けん一回で洗ってきれいにはならないんですよ。一回洗って、すすいで、もう一度石けんで洗い、同じようにすすぐんです。すすぎは最低3回しないと、それと水よりお湯のほうがきれいになる。とれないようなよごれは漂白しないといけないし、いまのひとは洗濯板をしらないんでしょうね」と本業の話しに熱が入る五十嵐さん。 海からの風が強くなり、庭では落ち葉が舞っている。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-007.jpg" width="250" height="375" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">ローズゼラニウムがハーブを育てる原点</h3>

<p>「大阪、名古屋へ行く前(40歳代）は、ここ茅ケ崎に住み、東京へ通い、家にいるときは畑仕事していましたから、私はもともと植物好きなんですね。松林もありましたが、畑もあって、いも、南京豆、イチゴなどつくっていました。土いじりが好きじゃなかったら、ここに住めなかったのではと思います。ハーブをはじめ、自然と親しむことができるのは、一番贅沢なこと、土があるのは都心じゃ考えられないですから」と。 </p>

<p>お父様譲りの土いじり、畑作業が性にあっていた五十嵐さん。「大阪時代からランを育てていました。こちらに戻ってきてセンティッドゼラニウムというハーブをもらったんです。ローズゼラニウムですね。匂いもいいし、育てやすかった。それがきっかけでハーブを育ててみようと思って。最初は、なかなか売っている所がなくてね、埼玉や千葉へゴルフへ行った帰りに、ハーブ苗を買ってきて育てていました。アールグレイさんへは、10年くらい前でしたかね。そのときのラベンダーがうまく育ったから、これはいいかなと思って、レモングラスもよく育ちましたよ」</p>

<p>いまでは奥様が、来客時、庭へ行って、ちょちょとハーブをつまんできて、ティーにしたり、あるいは可憐な花を切り花にして生けてくれるという。2年前、NHKBS「素敵にガーデニングライフ」（2004年8月8日放送）で、五十嵐さんの人物クローズアップが放映された。 五十嵐家の生活の中に定着しているハーブ。ウクレレ演奏とハーブのガーデニング、いつも好奇心旺盛な五十嵐さん。健康で元気で暮らせる秘訣を伺った。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-008.jpg" width="220" height="330" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">健康の秘訣は、歩くこと</h3>

<p>「大阪や名古屋で仕事していた現役ばりばりのとき、当時はエリートかぶれしていて、運転手つきの社用車で、仕事やすべて送り迎えもしてもらっていました。 <br />
茅ケ崎へ戻ってきたときも（50歳代）、初めのころ、運転手さんにきてもらって、東京へ送り迎えしてもらっていました。ある時、東京へ行くときに電車を使ったんです。そのとき乗り換えが数回ありました。それで、びっくりしたんですが、乗換駅の階段をのぼれなかったということです。階段で息がきれて愕然としました。軍隊時代、足の強いのが自慢だったんです。それが･･･「あーぁ弱ってしまった」と気づいて、それから「運転手さんはいりません、会社へは電車でいきますから」と送り迎えを断ったという。</p>

<p>そのおかげで、いまでは健康を取りもどして、どこへでも歩くことができるようになったそう。あのまま、社用車に乗っていたら「いまのように仕事も庭仕事もできなかった」とも。そして、会社は8階建てで、エレベーター使わずに、すべて階段であがっていくという。「ほかの社員は困っていますね」といたずらっぽい目をした五十嵐さん。五十嵐さんの健康の秘訣は、歩くこと、脚を動かすことだと納得。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャン 五十嵐有爾さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/igarashi/img-009.jpg" width="230" height="345" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<h3 style="display:inline; padding-bottom: 20px;">住むにはやはり茅ケ崎が</h3>

<p>最後に、五十嵐さんにとって「湘南とは?」と伺ってみた。「東京から帰ってきて、駅におりるとほっとします。空気や温度によるところがあるかもしれませんね。夏は東京より涼しいし、冬は暖かい、これは湘南の特徴でしょう。東京の会社あたりは土がありません。ところがここはどこへいっても土があるからね。これからは自然がますます大事になってくると思います。 <br />
東京は遊びに行くにはいいけれど、住むにはやはり茅ケ崎がいいね。連休のときなど都会の人は郊外へ出かけるけれど、私たちは自分の住んでいるところで満足しているから、出かける必要もないし、自然があるって、やはりすばらしいことですねぇ」と自然に恵まれた湘南のよさを強調された。</p>

<p>ウクレレ演奏と歌、ハーブをいつくしみながらの土いじり、そして敬虔なクリスチャンという五十嵐流湘南ライフスタイル。そうしたものが湘南の地に溶け込み、自然体で生活する五十嵐さんの健康の源泉なんだろうと。これからも誰もが憧れるジェントルマンでいてくださいね。</p>

<p>テキスト：熊谷　博<br />
写真：鈴木　綾子</p>]]>
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    <title>陶芸家 佐藤東魚さん</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/2008/02/togyo.html" />
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    <published>2008-02-01T02:16:46Z</published>
    <updated>2011-09-26T02:29:45Z</updated>

    <summary></summary>
    <author>
        <name>市川靖洋</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" /><img alt="陶芸家 佐藤東魚さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/togyo/togyo.jpg" width="520" height="319" style="" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>湘南の砂浜に"植物の気配する器"をポンと置きたい！</h3>

<p><strong>「この土はね、出雲・松江から取り寄せたもの、いいでしょ！」と、なめらかな手さばきで、陶土をこねる東魚さん。見る間に菊のような、アンモナイトの化石のような模様のできあがり。それを陶芸の土づくりの基本、「菊もみ三年」というそうだ。その塊をぽんと電動ロクロのうえに、その土にやさしく両手をそえて、ロクロをまわし始めた。土の先端がとがってきた。"芯だし"という作業、初心者にはむずかしい。さらに回転する土に、道具を当てると、あらら、魔法のように、美しい曲線の器にかわっていった。土と向き合う時間はどこかやさしく、自分の気持ちを素直にしてくれるという。</strong></p>

<p><strong>ここ茅ケ崎・浜之郷（はまのごう）にある佐藤東魚・陶芸の館。土色に染まっている工房は、素朴で飾らず、あたたかい空気がながれている。</strong></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="陶芸家 佐藤東魚さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/togyo/img-001.jpg" width="201" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p>開口一番から湘南の話となった。</p>

<p>「三浦半島の諸磯（もろいそ）に共同でクルーザー置いていたの。男は10人くらいかな、女はわたしひとり。毎週金曜日になると横浜から出かけていって、毎週末、相模湾や駿河湾などクルーザーで行ったり来たりしていました。そのときに、湘南海岸の陸地を海からいつも見ててね、いつか、ヨットを降りたとき、あのどこかに住んでみたいなぁ、と思っていました。若いころ、ヨットの関係で、裕次郎や慎太郎、三橋達也、竹脇無我、Ｅ.Ｈ.エリックなどのヨットがあってヨットハーバーでときどき遊んでいたことあります。そのころから、絶対この海岸のどこかに住みたいと思っていました。」</p>

<p>「横浜の小学校の頃、遠足で箱根へ行くときに、バスで134号線を、湘南の、この辺かな、走っているとき、わたしはガイドさんのいうこと全然聞かずに、それより犬を連れて散歩している人たちを窓から見ていて、憧れていたのね。」</p>

<p>それからが愉快な話。「幸い"いいひと"が、つまり彼が茅ケ崎に住んでいるというだけで、もうこのひとと結婚すれば茅ケ崎に住めるって舞い上がっちゃって、団地に住んでいると聞いたけど、しょうがないなぁ、でもまーぁいいか、ってね。全部、妥協妥協妥協ですよ、もう少し時間かけて、邸宅に住んでいる人を探せばよかったね、妥協だから、すぐに離婚したんですけど、あはは・・・。」と楽しそうな東魚さん。当時から湘南は、彼女にとっての憧れの地だった。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="陶芸家 佐藤東魚さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/togyo/img-002.jpg" width="300" height="201" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p>当初は、油絵を描いていて、あるとき、女流画家として推薦してあげるから50号くらいの絵を3枚ほど描かないか、といわれた。「しかし有名になって油絵ばかり描いていたらどうしよう。」と一人勝手に思いながら、「絵は描いているうちに飽きちゃうんですよ。」という。</p>

<p>そんなとき立体工芸、ものをつくるという陶芸に興味がわいてきた。お金がないから調理師の免状を取り、小さなお惣菜屋さんを営みながら、陶芸の学校へ。学校を卒業し、茅ヶ崎駅近くに「アート佐藤」という店をつくった。そこで額縁や絵画、陶芸の作品を販売しながら、店近くで陶芸教室をやり始めた。</p>

<p>「陶芸は飽きなくて楽しいね、絵は飽きるけど、父が木工芸をやってて、仕事場の木屑をピラミッドのようにしていつも遊んでいたの。それがいまの陶芸に続いているのかもしれないね。」<br />
長年、陶芸をしていてうれしかったことは、"教え子が陶芸家になったこと"だという。小学校、中学校と陶芸教室にきていた男の子が、高校生になってから、部活で陶芸としばらく離れていたのに、高校卒業時に「先生、陶芸したいんです。」と相談しにきた。二人で修行先を何ヶ所調べ、考え、本人は愛知県瀬戸行きを決め、2年間修行した。それがいまではプロとして陶芸の第一線で活躍している。「ひとりの人間の人生を左右することにかかわれたことが何よりうれしいことです。」</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="陶芸家 佐藤東魚さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/togyo/img-004.jpg" width="201" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p>「いっしょくたにやっているのがわたし流かな、これだけ！というのではなく、いまでもなにかもっともっと新しいものを取り入れたいと思っています。ずーっと陶芸をやっているけど、ひとつのことに凝り固まらないようにしています。」</p>

<p>「一生陶芸と付き合っていこうと、陶芸がわたしの生き様の中心です。陶芸って自分に文化がないとひろがりがないと思う。茶碗ばかり作っていてもしかたないでしょ！例えば、お茶道具をつくれば、お茶の世界が深くなるし、絵をやれば、デザインや色彩やいろいろなところでつながるし、書もしかり、お花をやれば、花器として。わたしは陶芸の世界で遊んでいきたい、たっぷり文化をもってね。」</p>

<p>「エネルギーは好きなほうが強い。陶芸家というのはえらく健康でないとやれないと思う。土のエネルギーはすごいものがあるのよ、大地だから、具合が悪いと、土をさわれないよね。」</p>

<p>なるほど陶芸の作品は、作家の全人格がすべて込められ作り出されるものなのだと納得。</p>

<p>「陶芸家は、作る者として、こころも精神も健康でなくっちゃ、不健康な考えで、作品をつくってもその波動が、作品に入り込んでしまう。作者は気持ちいい人間でいないと、土はそれをお見通しなのね、しっかりわかっているんでしょう、自分のくだらなさを、あはは・・・。」</p>

<p>東魚さんの作品は、やさしく、やわらかく、ふわっとしている感じ。</p>

<p>「わたしのはね　"植物の気配する器"とでもいうのかなぁ、だから、それを、湘南の砂浜の上にぽんと置いたら、いいなと思うんだけど。」</p>

<p>それが東魚流・器なんだろうと思った。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="陶芸家 佐藤東魚さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/togyo/img-005.jpg" width="201" height="300" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p>これからのことについて「陶芸を次の世代の人たちに伝えていきたいですね。土っていちばん楽しいことだから、これからは子供たちへ、土いじりの楽しみを伝えていきたい。粘土って楽しい、要するに泥んこ遊びでしょ！」と目を輝かせ、熱く語る東魚さん。</p>

<p>いま、陶芸のほかに、そばうち教室、こだわりの自然食材をつかっての自然食料理教室などを展開している。</p>

<p>東魚さんの食のこだわりは徹底している。ものをつくるのが好きという性格からか、味噌、蕎麦などすべて自分でつくってしまう。以前はビールまでもつくっていた。</p>

<p>当然、すべての基本・水へのこだわりも相当なもので、週一で丹沢の名水を汲みに出かけている。</p>

<p>彼女のつくったやわらかい東魚流・器にそえられ、ちりばめられる新鮮で色あざやかな野草をはじめとする自然食。女流陶芸家としてのしなやかさが随所に見られる。</p>

<p>自作の器に料理を盛る愉しみと喜び。精進料理も薬膳料理もひととおり学んだ東魚さんの料理は、素材そのものをいかした体を元気にさせてくれる料理。体にやさしいシンプルな食材を毎日とっているせいか、肌は驚くほどつややか、10歳以上は若く見える。それも東魚流、湘南スタイルを実践しているからこそ。これからも土のこころを器に生かす、東魚流・遊びごころいっぱいの器作り、ますますのご活躍を祈って、陶芸の館をあとにした。</p>

<p><strong>佐藤東魚　陶暦</strong><br />
1979年 日本陶芸美術研究所卒業　芸術院会員帖佐美行認定<br />
1980年	神奈川県展連続に入選入賞<br />
1983年	東魚陶芸教室開く<br />
1983年	年間行事として個展・教室展・グループ展を開き、今日に続く<br />
1991年	県主催縄文土器・野焼きの技術指導<br />
1996年	浜之郷陶芸の館攻防・教室　松尾から移転<br />
1999年	蕎麦うち修行の後、蕎麦クラブを設立<br />
　　　　各カルチャーセンターにて陶芸と蕎麦講師<br />
2000年	銀座書廊作品展連続3回<br />
2001年	現在に至るまで毎年個展・教室展・グループ展<br />
2003年 現在継続ギャラリー常設店山梨県交響楽舎　湯河原町茅ギャラリー<br />
　　　　金の道銀の道ギャラリー<br />
2005年　ドーヴィルギャラリー個展　ハスキーズ仲間展</p>

<p>佐藤東魚　陶芸の館　0467-57-2055　陶芸教室生徒随時募集中</p>]]>
    </content>
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    <title>ボサノバ・シンガー JUNKOさん</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/2008/01/junko.html" />
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    <published>2008-01-26T01:42:55Z</published>
    <updated>2011-09-26T02:31:13Z</updated>

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    <author>
        <name>市川靖洋</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" /><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/junko.jpg" width="520" height="319" style="" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>「ブラジル音楽、なんだか幸せになれる・・・　ボサノバの郷愁、サウダージ」</h3>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/prof_img.jpg" width="170" height="254" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p><strong>＞＞＞PROFILE</strong><br />
山口生まれ。薬科大学時代よりボサノバ・バンドで活動。小野リサにギター・ボーカルを師事。さらにブラジル人ミュージシャン、エドゥ・ア ルヴスに ギター、レイラ・マリアにボーカル師事。1997年5月25日に両国の江戸東京博物館ホールで開かれた第4回日本ラテンアメリカ音楽協会主催のボーカルコンテストで第3位入賞。その後、ゆうぽーと簡易保険ホールや江戸東京博物館等でのラテンコン サートに出演。現在、SABIA（ブラジルのつぐみ科の鳥の名）というボサノバ・サンバ・グループをつくり、都内、横浜、横須賀、湘南等で活躍中。2001年5月～6月にブラジルへ渡りサンパウロ在住のサキソフォーン、クラリネット、フルート奏者、作曲家、編曲家の指揮者で、アントニオン・カルロス・ジョビンと長年共演したRobert Sionらのアレンジでセルフ・プロデュースしたArico Iris （虹）（ＯＦＣ２００１）を発表。NHK-FM、J-WAVE等で取り上げられる。</p>

<p>また『スイングジャーナル』『Jazz Life』『ラティーナ』等で掲載される。2002年、J-WAVEの番組サウージ・サウダージのはじめてのアルバム"Sala-da-Bossa" （ユニバーサルレコード）に参加。茅ヶ崎市在住。<br />
Bossa Nova SABIA <a href="http://members.jcom.home.ne.jp/sabia2">http://members.jcom.home.ne.jp/sabia2</a><br />
Brazilian Herb SABIA <a href="http://www.brazilian-herb-sabia.com/">http://www.brazilian-herb-sabia.com/</a><br />
Office　Carioca　0467-57-8482</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/img_01.jpg" width="225" height="336" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p><strong>七弦ギターの太く低い音が、ひかえめに奏ではじめたライブハウス。<br />
ここは鎌倉のJAZZカフェ・ダフネ。<br />
これから始まるボサノバ・ライブのワクワク感が伝わってきた。<br />
ステージにスポットライトを浴びたJUNKOさんが登場。<br />
ファーストナンバーは、ラブソングの"dreamer　夢みる人"</strong></p>

<p><strong>足元に2個のアロマ芳香器、オレンジ、ラベンダー、ローズウッドの香りがかすかに漂っている。まるでブラジリアンのさわやかな風が吹いているかのよう。</strong></p>

<p>JUNKOさんのボサノバの原点はふるさと・山口から。「通っていた幼稚園にドイツ系ブラジル人の神父さまがいらしたんですね。その神父さまは、いつも同じ黒い服を着てらっしゃったので、子供ながらどうしてなんだろうと思っていました。そのわけが自分の服を買う余裕があったら、貧しい人に分け与えようという考えからであったのを知り、とても 感動したのを、覚えてます。。幼いながらも、すばらしいブラジル人の神父様にあこがれ、ブラジルが好きになっていったんです。」</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/img_03.jpg" width="275" height="411" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p>「中学になったとき、ラジオから流れてきた曲、どこの国の音楽かわからなかったけれど、 "この曲なんだか幸せになれる"と感じたんです。いま思えばボサノバだったんでしょう。それからアントニオ・カルロス・ジョビンのレコード『イパネマの娘』を買い、5、6年、その曲をすり切れるほど、ずーっと聴き続けていました。当時は、まだまだボサノバは知られていませんでしたから、一人で聴いていました。それは自分だけの宝物と対話できる、、至福のときでしたよ。」<br />
徐々に、ブラジル音楽へのめり込むようになり、東京の薬科大学でバンドに、そして早稲田のＪＡＺＺ研へ、さらに高じてポルトガル語の勉強をしつつ、「ちょうどそのころ、まだ高校生だった小野リサの店へ出入りするようになりました。」 </p>

<p>縁があって茅ヶ崎へ嫁いできて、しばらく音楽と離れていたという。子供が4歳になった頃、「なぜか急に、あ～ぁ、歌いたいなぁ・・・。」という気持ちが高まってきた。当時まだデビューしていないリサに「ねぇ、わたし歌いたいの、ギター教えてくれる？」それから2年間、幼稚園の子供を連れて行ったり、預けたりしながら、ギター、歌を教えてもらった。</p>

<p><strong>「デビューは15年前、横須賀のショッパーズプラザでした。」<br />
そして今日までSABIAというユニットを結成、ライブ活動を続けることになる。</strong></p>

<p>5年前、ときどきライブで組むトロンボーン奏者がブラジルへ帰ることになった。その時「わたしもブラジルへ行きた～い」っていったら、彼は「ＣＤつくる？」「いいなぁ～」っていうノリでブラジルに行くことに。<br />
そして、あれよあれよという感じでファーストアルバム「SABIA arco-iris　～虹～」をセルフ・プロデュースしてしまう。（アントニオ・カルロス・ジョビンと長年にわたり共演した管楽器奏者で作編曲のRobert Sionらのアレンジ、演奏によりブラジル録音） </p>

<p><strong>「最近、"ライブって楽しいなぁ"という気分になり、一回一回のライブ、わくわくし、燃焼します。<br />
自分自身こころから楽しんで歌えば、メンバーも燃え、お客様も楽しんでいただけると思うんですね。」</strong></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/img_04.jpg" width="370" height="248" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p>JUNKOさんの鎌倉でのライブ、後半に入り、ますます情熱を帯びてきた。<br />
"サウダージ"（ポルトガル語で、郷愁、、恋しく思う切ない気 持ち）そして"ショーロ"（泣くという意味）と呼ばれるブラジル音楽。こうしたメランコリックな哀愁を帯びた歌は、ＪＵＮＫＯさんの独壇場。<br />
「ブラジル音楽の特徴はハーモニー、合わせることが大切」という。JUNKOさんの歌と、7弦ギターのギタリスト・尾花さん、日本のバーデンパウエルといわれる渡辺さんのギターデュオ！情熱的なブラジリアン・サウンド、すばらしい迫力の演奏、その激しい、パッションのある中に、深い哀愁と憂い、そして切なさ、ちょうど恋の感情と同じ。友人が言っていた「音楽も絵画も文学も、芸術の女神（Muse)との交感で生まれたものだから、恋愛よ。恋してたら、感応せずにはいられない・・・、激情と哀愁・・・ 」JUNKOさんのライブは、まさに"激情と哀愁"そんな感じだった。</p>

<p>「私のモットーはあきらめないということかな、ブラジル人もあきらめませんね。ブラジルへ行った時、一番聴きたいというミュージシャンのコンサートがあ
ったの、チケットはもうとっくに完売、それでもどうしても聴きたいから、入り口へ行って"わたしは日本からやってきたのよ、すごく聴きたくて・・・聴かないと帰れないの ・・・"と何度も何度も、あきらめず係りの人に言い続けました。そしたらなんと"ダメダメ・・・、ダメだから"っていってた人が、"じゃぁ、通路だけどね"って入れてくれました。それも、そこはなんとミュージシャンのすぐ近くという幸運だったんです。私は、いつも前しか見てません、迷ったら実行しちゃうという性格。自分の感覚を信じてそれが自分を助けてくれると思っています。」</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/img_05.jpg" width="275" height="184" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p><strong>JUNKOさんの"湘南"のイメージは、「住んでいる人たちが、自然で気負わないところ、そして自然を愛し、ゆったり生活するということかな。」という、「地元・湘南で歌うのは、いちばんリラックスできるから好きです。」とも。</strong></p>

<p>彼女の湘南・茅ヶ崎でのライフスタイルは、ロハスそのもの。「薬剤師なので、健康を常に意識しますから、食べることを大事にしています。手抜きをしないということかなぁ、大根やにんじんなどの野菜も、皮から葉っぱまで全部利用すると、捨てるところなんかありませんよ。」ときっぱり。そして歌手ということもあり、体力づくりとして、スイミングとエクササイズは欠かせないという。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ボサノバ・シンガー JUNKOさん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/junko/img_06.jpg" width="275" height="184" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p>「最近はハーブに惹かれています。ずーっと、"何かブラジルに役立ちたいなぁ"と思っていました。ヨーロッパのハーブも興味はありますが、私は日本にブラジルの薬草・ハーブを紹介していきたいと思うようになったのです。」<br />
薬剤師でもある異色のボサノバ・シンガーJUNKOさん。これからは、ブラジル音楽のライブ活動とともに、薬剤師としての経験を活かし、「幼稚園時代から縁のあったブラジルのために、ブラジルのハーブを広めていきたい。」と目を輝かす。</p>

<p>茅ヶ崎が生んだボサノバ・シンガーJUNKOさん、ますます輝いていってほしい。</p>]]>
    </content>
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    <title>セント・エルモ号船長 吉田八岑さん</title>
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    <published>2007-12-19T07:24:38Z</published>
    <updated>2007-12-19T07:59:22Z</updated>

    <summary>ここちよい春の潮風が、マストをかすめ吹きぬける江ノ島ヨットハーバー。大型のクルーザーが係留されている一角に、ひときわ目立つ真っ黒な帆船、そのマスト先端にジョリーロジャーのブラック・フラッグ（海賊旗）が悠然とはためいている。</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="セント・エルモ号船長 吉田八岑さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/yoshida-yatsuo/001.jpg" width="520" height="319" /></span>]]>
        <![CDATA[<h3>“この船のキャビンには、建築・絵画・音楽、そして文学の4つの世界が凝縮し、詰まっている” </h3>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="セント・エルモ号船長 吉田八岑さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/yoshida-yatsuo/002.jpg" width="170" height="254" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></span>

<p>ここちよい春の潮風が、マストをかすめ吹きぬける江ノ島ヨットハーバー。大型のクルーザーが係留されている一角に、ひときわ目立つ真っ黒な帆船、そのマスト先端にジョリーロジャーのブラック・フラッグ（海賊旗）が悠然とはためいている。「わたし流・湘南スタイル」第1回目は、その海賊船・「セント・エルモ号」船長・吉田八岑（ヤツオ）さん（70）。タラップをとんとんと降りていくと「よっ！」と船長が手を上げてくれた。海賊船の船長らしく、シャツもジーンズも黒づくめ、黒いテンガロンハットのしたで、レイバンのサングラスがするどく光った。</p>
<p>甲板にのり移り、ナイフや短銃で脅されるのを覚悟で恐る恐る聞いてみた。<br />
「船長、お話を聞かせてくれませんか・・・？」<br />
ナイフか短銃（船長の周りにはいつもナイフがある、隠れ家には鉄砲がごろごろしてる）が出てくるかわりに、相好をくずした船長が「コーヒー飲むかね？」と意外な言葉。「まーぁ、ここのほうが暖かいから」とキャビンに招き入れてくれた。あーぁ、ぐさりとあるいはズドン！と撃たれなくてよかった。という経緯で、わずかに揺れるキャビンの中で、船長のもう奇想天外というか、奇奇怪怪な、あるいは摩訶不思議な、ときにはおどろおどろしい話しが飛び交い始めた。その興味深い話は、今回は見送り、湘南に話を戻すことに。「若い頃はね、お金ないから、山登りしてたんだ。丹沢へ行き、ロック・クライミング。ある時、ハーケンが抜けて宙吊りとなり、命を落としかけた。で、自分はその素質はないんじゃないか」と、それで山と正反対の海へ、舟へと向かったという。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="セント・エルモ号船長 吉田八岑さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/yoshida-yatsuo/003.jpg" width="225" height="339" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;"/></span>

<p>「私の原点はね、東京・月島桟橋のボート屋で、そこのおやじから、”お前なにしてんだ？”と聞かれ、”ボート欲しくて、探しているんだ”　というと　”じゃぁ、そこに沈んでいるボート、二千円でやるよ”といわれたことです」当時、大卒の初任給が三千円のころ。沈んでいたボートを陸にあげ、修理し、そのボートで神田川をさかのぼり、早稲田の大隈庭園に置かせてもらい、毎日仕事終えてから手をいれ、ヨットを作り上げた。「金なんかないからね、孟宗竹をマストにして、鉄板をセンターボードにしたんだ。ははは・・・・、当時はそれで誰にも笑われなかったなぁ」と。そのボートを原点とし、それからY15などいろいろなヨットにのった。時間のあるときに、船の模型本を見ながら、模型をつくっていた。<br />
しかし、つくってからしばらく置いておくと、ほこりをかぶってしまう。「じゃぁ、つくっちゃえ！」ということで、幸い設計図があったから船体だけは建造してもらい、海に浮かべながら、少しずつ手をいれ、30数年かけてこの「セント・エルモ号」を完成させた。「つくっている期間は、至福の時間だったね」と目を細める吉田船長、もうそのころはサングラスもはずしおだやかに。自分で工作できるものは全部作ってしまう、それも職人の腕前。船籍36年。「セント・エルモ号」艤装品を含め歴史的価値は計り知れないという。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="セント・エルモ号船長 吉田八岑さん" src="http://www.shonan-style.jp/watashi-style/images/yoshida-yatsuo/004.jpg" width="225" height="337" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></span>

<p>吉田さんは、毎日、茅ヶ崎の家から、体力づくりを兼ねて自転車で江ノ島まで来る。そしてこの船で過ごす。潮焼けした健康的な肌、すらりとした姿、とてもその年齢を感じさせない。「ここで遊んでいるとね、創造力が一杯わいて来るんだ。私はね、建築、絵画、音楽そして文学は、切っても切りはなせないものだと思ってる。その４つの世界が凝縮して、この船のキャビンに詰まっているんだ」どうりでキャビンのなかは、クラッシクやＪＡＺＺが流れているし、名画といわれる絵画のミニチュアが飾られている。酒瓶もころがっているけど。文学は専門であるし、船をつくりあげるのは、まさに建築だ。<br />
吉田さんのそれぞれの造詣の深さと薀蓄（うんちく）はただものではない。それは当然、専門は「中世ヨーロッパ史」だから。話しは尽きないが、最後に「”湘南”という言葉、どんなイメージをお持ちですか？」と聞いてみた。「そうだね、こどものころの海はきれいだったなぁ・・・、自由に潜れたし・・・、うーん、いまは潜れないしね、それに目の前に海があっても入れないし、小坪、鵠沼、辻堂・・・、ローカルな地名のほうが好きだね」湘南のど真ん中、それも江ノ島ヨットハーバーで毎日過ごしている吉田さんにとって、”湘南”という言葉、ちょっと違和感がありそう。ことさら意識しないともいう。まるでそんなことはどうでもいい、といいたげな潮風が、ブラック・フラッグをさらにパタパタとはためかせていた。</p>]]>
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